明治34年8月付の「中山温泉再興仮規則」という古文書を入手しました。かつて繁栄したが、現在は廃業中の中山寺近隣の中山温泉を再開しようとする目論見書です。実際、この目論見が実行されたかどうかは不明ですが、中山温泉の盛衰、再興計画等貴重な情報が網羅されています。

要旨は、「中山温泉は、明治25年5月に、泉質試験により、浴用、飲用に効あることが判明したので、山を開き、橋を架け、道路を設け、温泉場、宿舎、料理店等を開場した。当初は繁盛したが、鉄道が通じていないなど、交通の便が悪かったため、ついに休業するに至った。ただ、現在(明治34年)は、阪鶴鉄道も中山寺まで通じ、立地も風光明媚な所なので、有志の出資を募り、中山温泉を再興したい。」
との内容です。
  中山温泉の開場時期は、「攝北温泉誌」「寳塚温泉案内」「明治22年2月5日付の大阪毎日新聞記事」に加え、この「中山温泉再興仮規則」資料から、明治25年であると考えられます。また
、「寳塚温泉案内」において、一時廃滅したが、近頃、再興する(した)とか」と記載されていることから、この「中山温泉
再興仮規則」が実行され、明治34年~明治36年頃に再興されたかも知れません。

摂津中山温泉遠望
明治時代の「中山温泉全景」(絵葉書)
宝塚には、明治時代、宝塚温泉の他に中山寺の近隣に中山温泉があり、一時は隆盛を誇りました。



中山温泉については、過去の書誌、新聞には、下記の記載があります。

(攝北温泉誌)
大正4年1月発行の「攝北温泉誌」には、中山(鑛泉)温泉について下記の通り記載されています。
(要約)
中山鑛泉(温泉)は昔より温泉を湧出していたが、明治32年(22年の誤り)に泉質を試験した結果、リウマチ、神経痛等に効用あることが判明し、明治25年温泉場を開場した。しかし、一時隆盛したがその後廃止された。その後、再び開場されたが、また、廃止され、現在存在しない。
(原文)
『「中山鑛泉」は往古より湧出せしが、明治三十二年に至り泉質を試験し効験を確めしに僂麻質斯、神経痛、子宮病、皮膚病等に適するを以て、二十五年温泉場を設け、一時隆盛なりしが其後廃止し、再び開場せしが現今に至り、復廃止せり。」また、場所については、「白鳥窟又は奥の院は大仲姫陵前を左折すれば、一渓谷に出づべし、是れ即ち足洗川にして昔聖徳太子が中山寺を創せん為め、紫雲山に登れる時其驪の足を洗へる所なりと云ふ、是に架せる石橋を紫雲橋と名け、橋を渡れば中山温泉跡あり、卜部左近の墓を左に見る此丘陵を除業障山と称せり」』

(大阪毎日新聞)
明治22年2月5日の大阪毎日新聞に、「温泉発見」の見出しで、中山温泉の記事が出ています。
(要約)
中山寺村の寺内、山本の二人は、中山寺境内より10町ほど奥の谷合に温泉が湧いているのを発見した。温泉開拓の旨を県庁に出願し、検査の結果、許可を得たので、目下、浴室の普請に取り掛かっている。この温泉は武庫郡伊孑志の温泉(宝塚温泉)に比べれば高温の湯である。
(原文)
『「兵庫県下川辺郡中山寺村の寺内、山本の両氏は中山寺境内より十町ばかり奥なる字奥山と云える苔蒸す谷合に温度を含みし小流れのあるを発見せしに依り去月右温泉開拓の儀を同県庁へ出願せしにそれぞれ出張検査の上既に許可を得たれば目下浴室の普請に取りかかり居る由此の温泉は武庫郡伊孑志の温泉に比すれば温度高しと云えり」』(「宝塚市大辞典」499ページ)

(寶塚温泉案内)
明治35年発行の「寳塚温泉案内」には、「こゝに温泉あり、中山温泉といふ、一時廃滅に属したるも、近来また再興せしとかや。と記載されています。


(「中山温泉再興仮規則」の原本)

入手した文書は、18ページで、作成時期は、明治34年8月と記載されています。
冒頭と巻末ページは下記の通りです。

     (表紙・冒頭1)         (冒頭2)           (冒頭3)
中山温泉再興仮規則表紙中山温泉再興仮規則2ページ中山温泉再興仮規則3ページ












(温泉再興の発起人名簿) (発起人名簿2・長尾村長宛)
中山温泉再興仮規則 署名1中山温泉再興仮規則 署名2











(「中山温泉再興仮規則」の内容)


(冒頭の要約)

明治25年5月に、泉質試験により、良い結果が出たので、山を開き、橋を架け、道路を設け、温泉場、宿舎、料理店等を開場した。当初は繁盛したが、鉄道が通じていないなど、交通の便が悪かったため、ついに休業することに至った。ただ、現在(明治34年)は、阪鶴鉄道も中山寺まで通じ、立地も風光明媚な所なので、有志の出資を募り、中山温泉を再興したい。
(注)阪鶴鉄道は現在のJR西日本の福知山線で、明治30年12月27日に尼崎駅から宝塚駅まで開通し、同日、中山寺駅は開業した。

(投資計画の要約)

〇総投資額 3万円
  但し、宅地、山林1万坪。総ヒノキ木造内石造浴場4ヶ所
  温泉場1ヶ所49坪、宿舎売店事務所5棟、煉瓦造り器械場1ヶ所 等

(収支計画の要約)
  入院料金収入が、収入予算の約半額を占め、また、支出予算で、3名の医師を採用する予定になっていることから、温泉場の中で、療養部門(施設)の位置付けが高いことが分かる。

〇年間収入予算  22,420円
  ・温泉入浴料収入   2,120円 (1日 6円)
   入浴客 5万4千人、1日平均 150人(上等100人、下等50人)、料金(上等 5銭、下等 2銭)
  ・飲食料、茶料、其の他収入 9,000円 
   (1年 1万8千人、1日平均 50人、1人1日の収得金 50銭)
  ・土地貸渡し料収入 500円
   (1,000坪、1坪 4銭乃至5銭)
  ・入院料金収入  10,800円
   (1年入院患者 9千人、1日平均25人、1日1人入院料金 1円20銭)

〇年間支出予算  13,266円
 
 ・取締役・監査役報酬    1,920円 (取締役5人、監査役3人)
  ・その他人件費 2,058円(支配人1人、事務員3人、料理人6人、仲居9人、温泉場掛3人他25人) 
  ・燃料費等  380円
  ・客用備消耗品  1,800円
  ・従業員用飲食費  378円
  ・医師人件費  2,280円(院長含む医師3人)
  ・看護婦・薬剤師等人件費  1,120円(看護婦3人、薬剤師2人、会計1人、受付1人等)
  ・患者備消耗品   900円
  ・入院患者賄料  2,250円(1日1人 25銭)

〇年間利益予算  9,334円

(発起人)
発起人は、下記の人々が列挙され、提出先は川辺郡長尾村長 乾 恒三郎宛となっています。

  発起人名前
  天王寺愛染阪の上宅、大阪府参事会員    橋本 善右ヱ門 氏
 胞衣会社及び貸家保険会社取締        中濱 善右ヱ門 氏
 上仝職                        加納 善之助 氏
 葛製造問屋                     清水 久助 氏
 葛製造問屋                     土井 伊右ヱ門 氏
 阪鶴鉄道会社運輸課長              速水 太郎 氏
 心斎橋二丁目 ネル商               鷲尾 常治郎 氏
 元摂津鉄道支配人                 野村          氏
 平野紡績会社員                   金澤 直兵ヱ   氏
 元判事当時〇証人                 芦谷 公敬   氏
 元名古屋市長                    柳本 直太郎 氏

(注)
 ・橋本 善右ヱ門は、安政4年6月14日生まれ。明治25年衆議院議員、
32年から大阪府会議員、
同議長をつと
  め,大正11年11月9日死去。
 ・中濱 善右ヱ門は、大阪四ツ橋銀行取締役、大阪胞衣常務をつとめた。


『「中山温泉再興仮規則」原文』

「摂津国川辺郡中山寺村北中山字東谷仝寺奥の院の北位一町に霊泉混々として涌出てるを以て明治25年5月其の筋の試験を請いたる所浴用且飲用倶に大変効あるが為め直ちに山を開き橋梁を架し道路を設け温泉場其他宿舎、料理店及び庭園を築き事務所を建て開業するに幸にして繁盛せしも惜哉鉄道の交通なきが為め浴遊客諸氏の便を欠き終に休業する場合となりしも今や阪鶴鉄道会社線中山駅即ち中山温泉に接するに些かに五丁弱にして仝地は有名なる中山寺観音に隣り此地や山水明媚幽静気候清廉にして遥かに十一州の山嶺を望み浪花随近の街摂泉の田野海水は眼中に迎え好日〇尽くが如く〇ゆるが如し而して仝温泉場の周囲は四季の草花を植え実に春の花夏の涼秋の月冬の雪風光共に備うざる事なき大勝〇たる事他の温泉場の及ばざるが名地たり依て此に株式〇〇となし廣く有志を募り発したるを興し世の貧困弱者に対し減價且つ無料施療の法方を取り江湖一般の亀範とも為すべき慈善的事業とするの希望なれば各位諸君の賛成あらん事を茲に仮規則を作り参考に供す
 明治34年8月

発起人

1.金 拾弐万円 総株額面
  但し50円券として
1.金 壱万弐千五百円
  但し宅地及び山林〇総〇1万坪〇総檜木造内石造浴場4ヶ所
  温泉場1ヶ所総坪49坪と
  宿舎売店事務所5棟(53坪、22坪、26坪、12坪、6坪)煉瓦造り器械場1ヶ所(3坪)8馬力)
  ケイトル一。付属品不残、其の他橋梁3ケ所、立木〇類不残買〇代金や
1.金 参千円
  但し宿舎70坪、橋梁3ヶ所
  大修繕(8馬力)ケイトル)買入
  延長9百間(冷泉自水)引取樋を新設費其他道路延長百間、樹木手入れ費
内 金七千円 
   但し、病院新築費設計は別紙あり
仝 金七千五百円
   但し、積立
 
 総〇金 参万円
  
温泉場、宿舎、料理店、茶店、病院等収入予算
1.金 弐千百弐拾円
  但し、温泉1ヶ年入浴料1日金6円、入浴客5万4千人、1日平均150人、
  上等 100人、下等 50人、上等金5銭、下等金2銭
1.金 九千円
  但し、遊客飲食料、茶料、其の他収益一ヶ年1万8千人、1日平均50人、1人1日の
  収得金50銭
1.金 五百円
 但し、土地貸し渡し料1,000坪、1坪4銭、乃至5銭
1.金 壱万八百円
 但し、1ヶ年入院患者9千人、1日平均25人、1日1人に付き入院料金1円20銭

  収入総〇金 弐万弐千四百弐拾円

支出予算
1.金 壱千九百弐拾円
  但し、取締役5人、監査役3人
  報酬金平均1名、1ヶ月金20円
1.金 七百八拾円
  但し、支配人1人、事務員3人
  月給支配人20円、事務員15円
1.金 千弐百七拾八円
  但し、雇入21人の給料1ヶ年 料理人6人1ヶ月 12円3人、6円3人
  仲居9人1人1ヶ月1円50銭 温泉場掛3人 〇売場1人 器械掛2人
  平均1ヶ月金10円 飯炊3人1人1ヶ月金3円
1.金 参百八拾円
  但し、温泉場燃料その他諸費  1ヶ年〇 1日 金1円
1.金 壱千八百円
  但し、来客人借給諸品買入代1ヶ年〇 1日 1人に対し金10銭
1.金 参百七拾八円
  但し、雇人21人に対する飲食代金1ヶ年〇1日1人金5銭
1.金 弐千弐百八拾円
  但し、医師3名月給1ヶ年〇 院長1人1ヶ月金150円
1.金 壱千百弐拾円
  但し、看護婦3人、薬剤師2人、会計1人、受付1人、
  小使1人、1ヶ月年給料 薬剤師1人月給35円 1人仝10円、会計15円、受付1人仝10円
  小使1人10円、看護婦3人1人1ヶ月8円の割
1.金 九百円
  但し患者給すべき薬味及び其の諸品買入代金1ヶ年〇1日1人に対し金10銭
1.金 弐千弐百五拾円
  但し入院患者の賄料1ヶ年〇1日1人金25銭

総計 金壱万参千弐百六拾六円

差引 金九千参百参拾四円 1ヶ年全利益
 
発起人名前
 天王寺愛染阪の上宅、大阪府参事会員    橋本 善右ヱ門 氏
 胞衣会社及び貸家保険会社取締        中濱 善右ヱ門 氏
 上仝職                        加納 善之助 氏
 葛製造問屋                     清水 久助   氏
 葛製造問屋                     土井 伊右ヱ門 氏
 阪鶴鉄道会社運輸課長              速水 太郎   氏
 心斎橋二丁目 ネル商               鷲尾 常治郎  氏
 元摂津鉄道支配人                 野村          氏
 平野紡績会社員                   金澤 直兵ヱ   氏
 元判事当時〇証人                 芦谷 公敬   氏
 元名古屋市長                    柳本 直太郎 氏

川辺郡長尾村長 乾 恒三郎 君
                                    以上