ホテル若水付近にあった明治20年5月開業の宝塚温泉・初代温泉場には、2つの鉱泉の源泉がありました。この2つの源泉が宝塚発展の礎となる宝塚温泉と「ウィルキンソン タンサン」を生みました。

温浴用「宝塚鉱泉」と飲料用「宝塚炭酸泉」

明治21年発行の「兵庫県統計書」には、温泉場の2つの源泉「宝塚鉱泉」「宝塚炭酸泉」について記述されています。宝塚鉱泉は「温度21度、泉質は含炭酸食塩泉で、温浴すれば、リウマチ、神経痛、慢性子宮病等に効あり。飲用すれば慢性胃腸炎に、吸入すれば喉頭炎等によい。」と、宝塚炭酸泉は「温度21度、弱単純炭酸泉で清凉飲料に適し、食欲を進める効あり。1日2、3回飲用するのがよい。」と記されています。

宝塚鉱泉は、宝塚温泉場の温浴用に使用され、飲用には、ウィルキンソンが発売した薬効水「NIWO(仁王水)」の原料となりました。「NIWO(仁王水)」は、当時の販売代理店のDMには、「脳活動を増進させ、エネルギッシュにするが、風味はそれほどでなく、パーティの翌朝等必要な場合を除き、1週以上継続して服用しないよう」と記されており、塩分、鉄分の含有量が多く、飲用には向かなかったようで、後に廃番になりました。

NIWO(仁王水)ボトルラベル(ブログ)

NIWO(仁王水)ボトルラベル











 宝塚炭酸泉は、クリフォード・ウィルキンソンがこの源泉を瓶詰めし、明治23年に天然炭酸水「TAKARADZUKA MINERAL WATER(宝塚ミネラルウォーター)」として発売し、後に改名した「TANSAN(タンサン)」は世界的な飲料ブランドになりました。

なお、明治34年発行の外国人向け英文日本旅行案内「マレーズ・ハンドブック」にも、『宝塚は、2つの鉱泉「TANSAN(優れた飲料水)」と「NIWO(塩分・鉄分が多く、便通に良い。加熱して入浴にも使われる)」で有名である』と記されています。


「寳塚ラムネ」と炭酸泉の採取権譲渡

ウィルキンソンの「タンサン」の原料となった源泉「宝塚炭酸泉」は、クリフォード・ウィルキンソンが第一発見者ではありません。ウィルキンソンがこの鉱泉に出合う以前の明治2122年頃、宝塚温泉場を経営していた保生會社が、この鉱泉を原料に「寳塚ラムネ」(通称「小判ラムネ」)と称するラムネを販売していました。保生會社は、後に保生商會と社名を変更したようで、明治22年6月22日の東雲新聞には、保生商會による「寳塚ラムネ」の広告が掲載されています。広告には「当商會のラムネは天然の炭酸泉を以て製造するが故にその効能の著しき高評を得たり」と記されています。

明治22年「宝塚ラムネ」の広告(ブログ)




明治22年「寳塚ラムネ」の広告







しかし、寳塚ラムネは順調でなかったようで、広告掲載後まもなく、宝塚炭酸泉の採取権をウィルキンソンに譲り渡すことになりました。明治33年発行の「大阪経済雑誌」には、2合瓶入り11厘で、20年契約であったと記されています。