大正4年発行の「摂北温泉誌」に「宝塚八景」が紹介されています。明治時代に宝塚温泉への観光客誘致のために定められたものと思われますが、「宝橋新月(宝来橋)」「面山風巒(宝塚温泉から見た川面の山々)」「荒神秋葉(清荒神)」「塩寺晨鐘(塩尾寺)」「磯西晩渡(伊孑志の渡し)」「小林梅雪(宝梅園)」「甲山過雨(逆瀬川より眺む甲山)」「丁字銀川(丁字ケ滝)」が上げられています。
この絵葉書の下には、磯西晩渡と記載されていますので、宝塚八景が定められた当時の絵葉書と思われます。渡し船の伝馬船(てんません)が写っています。
「伊孑志の渡し」の碑が当時の船着場付近の美座に立てられています。その碑に記載されている宝塚市教育委員会の説明によると、大正時代初期まで、伊孑志付近から市立宝塚中学校あたりを結んで、「伊孑志の渡し」と呼ばれる小さな伝馬船による渡し船が運行されてました。この渡し船は大正初期頃まで続いたようです。
(その他の当時の宝塚八景)
丁字ケ滝 塩尾寺
清荒神 寶梅園
この絵葉書の下には、磯西晩渡と記載されていますので、宝塚八景が定められた当時の絵葉書と思われます。渡し船の伝馬船(てんません)が写っています。
「伊孑志の渡し」の碑が当時の船着場付近の美座に立てられています。その碑に記載されている宝塚市教育委員会の説明によると、大正時代初期まで、伊孑志付近から市立宝塚中学校あたりを結んで、「伊孑志の渡し」と呼ばれる小さな伝馬船による渡し船が運行されてました。この渡し船は大正初期頃まで続いたようです。
(その他の当時の宝塚八景)
丁字ケ滝 塩尾寺
清荒神 寶梅園