宝塚発展の基礎を創った宝塚温泉は、明治20年5月に武庫川沿いの現在のホテル若水の場所に初代の温泉場が開業しました。入浴場は、ここ1ケ所であったため、周辺の旅館・浴客宿に宿泊した人々は、この温泉場で入浴しました。温泉場を経営した保生会社の出資者であり、旅館分銅家を創業した小佐治豊三郎が著した「宝塚温泉発見以来の顚末」によると、温泉場開場と同時期に開業した旅館・茶屋は桝屋、弁天楼(泉山楼の前身)、分銅家、小宝屋(茶屋)の4軒であったようです。
温泉場開業の翌年、明治21年の浴客宿「満壽亭」の広告を紹介します。小佐治豊三郎が記載した4軒の1軒の桝屋(ますてい)は略称で、正式名は「満壽亭(ますてい)」であったと思われます。
(明治21年の浴客宿「満壽亭」の案内広告)
宝塚温泉は明治20年5月に温泉場が開業しましたので、開業間もない頃の宿の案内です。この頃は、宝塚温泉場への湯治目的の宿泊者が多く、素泊まりで、食事は、宿泊客が自炊するケースが多かったようです。
「便利宿廣告 寳塚温泉その効能全国無比にして、風況の宜しきは入浴諸君のよく知るところなり。したがって、幣亭は、お蔭をもって日増しに隆盛に向かい有難く感謝奉り候。さて、今般、入浴諸君のご便利を謀り、旧弊を一変し左の通り改良仕り候。旧に倍し続々ご投宿あらんを希望す。
〇1週間宿泊料 金 1円10銭
その他海川肉類お求めに応じます
明治二十一年一月 摂州寳塚温泉(西宮より2里半北、神崎より3里半戌亥北西)) 浴客宿 満壽亭」
歴代宝塚温泉場
(初代温泉場)
明治20年5月に開業しましたが、写真の通り武庫川の川沿いに建てられたため、明治30年9月29日の大雨で武庫川が氾濫し、温泉場は流失してしまいました。この後、2年間宝塚温泉は休業しました。
(2代目温泉場)
明治33年に再建、開業した2代目温泉場の写真です。(明治44年11月消印絵葉書)
右の建物の看板には「炭酸せんべい 」と書かれており、今も続く「炭酸煎餅の黄金家」がこの時期には開業していたことが分かります。
(3代目温泉場)
箕面有馬電気軌道(現阪急)が明治44年5月に武庫川の対岸に宝塚新温泉を開業しました。新温泉に対抗するため、2代目のエントランスを改造しました。