武庫川の清流に沿い、六甲、中山の秀嶺に囲まれた山紫水明の地「宝塚」は温泉にも恵まれ、明治以降外国人を含め、多くの人々が訪れました。 写真、絵葉書等をご紹介しながら、明治・大正時代等近代の宝塚を訪ねます。

宝塚手彩色写真ブログ用
(明治20年代中頃の手彩色写真)

 明治20年5月に開業した初代温泉場は、大雨による武庫川の氾濫により、明治30年9月30日に流失しました。この写真には、初代温泉場が写っていることから、明治20年代に撮影されたものと思われます。

  初代温泉場の流失時期については、「宝塚市史」「寳塚温泉案内」「寳塚沿線名勝誌」「攝北温泉誌」には明治31年11月と記述されていますが、誤りで、正しくは
明治30年9月30日に流出しています。
明治30年10月2日発行「東京朝日新聞」には、このように記されています。
「△兵庫県 十月一日午後零時五十五分發
 武庫郡本庄村流家廿二潰家二半潰家廿二、死者二 良元村死者二寳塚温泉塲流る(以下省略)」

 上の手彩色写真の裏面には、明治時代に神戸元町5丁目にあった写真館の眞影堂(SHIN-E-DO)のスタンプが押印されています。この写真館は、外国人向け土産写真の販売店で、この写真はこの店で購入した外国人が母国に持ち帰った写真であると思われます。

SHINEI-DO(真影堂) 元町5丁目 宝塚全景販売元
左の看板の店が眞影堂)