今はベッドタウンとなりましたが、武庫川、六甲の山を臨み、宝塚温泉を有する宝塚には、多くの方々が観光に訪れましたました。観光案内も多く刊行されました。
まず、明治時代に出版され、最古とされる宝塚案内「寳塚温泉案内」をご紹介します。

この「寳塚温泉案内」は、明治36年7月に大阪心斎橋の矢嶋誠進堂書店から発行されました。著者は、大阪朝日新聞の著名な記者であった加藤紫芳で、表紙と巻頭の色刷り版画は同じ大阪朝日新聞の画家の三谷貞広が担当しています。
タテ15cm×ヨコ10.8cm。53ページ。


宝塚温泉案内表紙(表紙)
三谷貞広による宝来橋のスケッチ。初代宝来橋は明治35年頃に架かったと推測されるため、この書物の刊行時期から、竣工後間もない
宝来橋と考えられます。
この書物には、「宝塚有志者の醵金に成りしものにて、一切他の支出を仰がず、橋杭1本づつ橋の中央に並列して橋桁を支へしめたる構造の奇なる、他に類例を見ず」と紹介されています。








宝塚温泉案内全景版画
三谷貞広による宝塚の全景のスケッチ。橋のたもとに旧温泉場、山手には、分銅の紋が目印の旅館分銅家が見えます。






     宝塚温泉案内宝塚駅          (右の写真)
 当時の鶴鉄道(現JR西日本)の宝塚駅の写真が掲載されています。  本文には「宝塚停車場  宝塚と川を隔てて相対し、宝塚より停車場迄は僅に二丁余に過ず、本駅は小浜村大 字川面にありて、里道駅前に通じ、南は見佐に、北は生瀬に至りて県道に合す」と紹介されています。

                            
                                                            
                                     
   


(広告)
興味深い広告が掲載されていますので、ご紹介します。

宝塚温泉案内ふんどうや
宝塚温泉旅館・ふんどうや(分銅家)の広告。「弊館儀寳塚温泉創業の歳より江湖諸君の御愛顧を蒙り---」と記載。









                           
 宝塚温泉案内泉山
 宝塚温泉・旅館泉山の広告。  「寳塚は地勢高燥にして
後に山を帯び前に川を控へて眺望佳絶夏時の 
御避暑には勿論四時共御保養に最も適切の地
 に御座候---」と記載。










宝塚温泉案内宝塚病院
武庫川右岸の温泉街にあった春日病院(寳塚病院)の広告です。
「近頃医師春日育造氏の病院を建設して春日病院と称し、浴客の不時に供え、且は土地高燥にして病痾療養に適切の地なるを以って、病者収容の為特に尽力せらるるもの---」と紹介。