宝塚への鉄道は、阪鶴鉄道(現JR西日本福知山線)が明治30年12月27日に宝塚まで延伸し、箕面有馬電気軌道(現阪急宝塚線)は明治43年3月10日に梅田~宝塚間を開業しました。その後、箕面有馬電気軌道は、阪神急行電鉄と改称しましたが、大正10年9月に西宮北口から宝塚への西宝線(現今津線)が開通し、宝塚線と接続しました。

箕有電軌時代の宝塚駅の絵葉書が多数あります。

宝塚駅(旧温泉眺望)駅は西洋建築風な華麗な建物で、当時、武庫川左岸は開発
されていなかったため、目立ち、脚光を浴びたことでしょう。
駅の向こうに旧温泉側旅館の分銅家、タンサンホテルが見え
ます。駅には大丸呉服店の広告看板が立っています。




摂津宝塚温泉場遠景及電車停留場 箕面有馬電気軌道の開業間もない頃だと思います。
手前には、福知山線の線路が写っています。左遠方
には、武庫川右岸の温泉街の旅館分銅家が望まれます。
箕有電鉄の線路上には、1型車両が写っています。



宝塚駅周辺全景左中程に、箕有電軌の宝塚駅が見えます。
その上には、福知山線の汽車が走っています。
 



            
宝塚駅(手彩色)清荒神側から見た宝塚駅です。右側のホームが下車
ホームで出口には人力車が並んでいます。
          
  



宝塚駅付近(福知山線との交差部分) 清荒神駅から宝塚駅への急カーブ部分です






(明治時代の阪鶴鉄道宝塚駅)
阪鶴鉄道(現JR西日本)「寳塚停車場」の写真(明治40年5月消印の絵葉書)を
1枚掲載します。
阪鶴鉄道宝塚停車場(明治40年5月)