東洋一のダンスホール「宝塚会館」は、1930年(昭和5年)8月3日に開業しましたが、ここに開業パンフレットがあります。詳細に施設の概要が記述されていますので、紹介します。
読売新聞及び「阪神間モダニズム」(淡交社発行)においては、宝塚会館の敷地が640坪と記載されていますが、この案内で、正しくは、敷地が4千坪、建坪が640坪であることが判明しました。
「寳塚會舘御案内」
「兵庫県寳塚中州
阪急寳塚南口下車」
右には、宝塚会館のイラストが掲載されています。
宝塚会館新築工事関係者も紹介されています。古塚正治は早稲田大学建築学科出身で宝塚ホテル、雲雀丘の庄司家住宅も設計した著名な設計家です。
「設計者 西宮市 古塚正治建築事務所
所長 古塚正治 他」
「請負者 大阪市 竹中工務店
現場主任 菊谷 他」
「直営工事請負者
家具装飾工事 大阪三越 大阪高島屋 神戸辻田商店
外線及外部電照工事 阪神急行電鉄会社 他」
冒頭の宝塚会館の紹介の名文を紹介します。
「踊りの時代(ダンシング・イラ) 1930年の美しき所産 寳塚會舘は 正統なる社交(ソシアル)ダンスホールとして その美しくも輝しき姿を 清流武庫の川岸に現しました。」
「寳塚會舘附近の風景
武庫川の清流と白礫逆瀬川の合流地点に その端麗なる白亜の殿堂 寳塚會舘はネオ・ラショナリズム 近代建築の粋を尽したるものでありまして 設計者は 斯界の鬼才古塚正治氏 その線の重々複々 円形階層の技巧は まことに建築界のウルトラ・モダーンでございます。(抜粋)
ごらんなさい あの美しい流れを 武庫川はこの會舘の背後に流れて一層その美を増して居ります。 その潺々流水の音は真に爽快な悠久の円舞曲でございます。」
宝塚会館新築工事概要が下記の通り、詳細に記載されています。
2004年2月15日の読売新聞の「モダンの記憶」、平成9年10月発行の「阪神間モダニズム」(淡交社)、平成17年宝塚市発行の「宝塚市大辞典」の何れも、敷地640坪と記載されていますが、下記の通り、建坪が640坪で、敷地は4千坪であることが判明しました。
1.位 置 武庫郡中州
1.敷地坪数 四千坪
1.建物坪数 地階 172.30坪(ドライエリヤーを除く)
壱階 299.10坪
弐階 168.90坪
延 640.30坪
1.平面計画
中央大ホールを隅々の無駄な余地を残さざる様利用する上に於て楕円形となしたるものにして、これに附属する各種の室は何れも円形に突出せしめたるものである。これは各室利用上の便宜を考慮したる上に、外観美の全きを期せんが為めの工夫である。
尚各階に設けたる主要室数左の如し。(抜粋)
地階 事務室 1 重役室 1 ダンサー休憩室及同ロッカー・ルーム 1
楽士休憩室 1 化粧室 2 物置、階段室 2
1 階 メイン・ダンスホール 1 休憩室 5 ヴァルコニー 2
クローク・ルーム 2 切符売場 1 下足預所 1
2 階 ファミリー・ダンス・ルーム 1 見物席大小共 14
屋上 プロムナード 3

(大ホール)
宝塚会館は、長時間の舞踏への疲労を緩和するため床下にスプリングを装置した初のダンスホールとして有名であった。下記の通り大ホールが紹介されています。
「大ホールは 一時に三百組を収容するに足り 殊に床下一面に装置しましたスプリングは長時間の舞踏にも些の疲労を覚ゆることなく 斯界に誇るスプリングフロアーとして愛踏家の絶賛を賜ふでございませう。」
(川岸に面した明るいポーチ)
武庫川の川岸に面して、ポーチを設けました。
「大円柱の豪壮 形態の断片 その昔 クレオパトラのプレオトミンの宮殿を再現したかの感ある雄大広壮なポーチでございます。前面ローンは広く川岸まで及び 散策に格好のローンでございます。」
(ファミリーダンスルーム)
読売新聞及び「阪神間モダニズム」(淡交社発行)においては、宝塚会館の敷地が640坪と記載されていますが、この案内で、正しくは、敷地が4千坪、建坪が640坪であることが判明しました。

「兵庫県寳塚中州
阪急寳塚南口下車」
右には、宝塚会館のイラストが掲載されています。
宝塚会館新築工事関係者も紹介されています。古塚正治は早稲田大学建築学科出身で宝塚ホテル、雲雀丘の庄司家住宅も設計した著名な設計家です。

所長 古塚正治 他」
「請負者 大阪市 竹中工務店
現場主任 菊谷 他」
「直営工事請負者
家具装飾工事 大阪三越 大阪高島屋 神戸辻田商店
外線及外部電照工事 阪神急行電鉄会社 他」
冒頭の宝塚会館の紹介の名文を紹介します。

「寳塚會舘附近の風景
武庫川の清流と白礫逆瀬川の合流地点に その端麗なる白亜の殿堂 寳塚會舘はネオ・ラショナリズム 近代建築の粋を尽したるものでありまして 設計者は 斯界の鬼才古塚正治氏 その線の重々複々 円形階層の技巧は まことに建築界のウルトラ・モダーンでございます。(抜粋)
ごらんなさい あの美しい流れを 武庫川はこの會舘の背後に流れて一層その美を増して居ります。 その潺々流水の音は真に爽快な悠久の円舞曲でございます。」
宝塚会館新築工事概要が下記の通り、詳細に記載されています。
2004年2月15日の読売新聞の「モダンの記憶」、平成9年10月発行の「阪神間モダニズム」(淡交社)、平成17年宝塚市発行の「宝塚市大辞典」の何れも、敷地640坪と記載されていますが、下記の通り、建坪が640坪で、敷地は4千坪であることが判明しました。

1.敷地坪数 四千坪
1.建物坪数 地階 172.30坪(ドライエリヤーを除く)
壱階 299.10坪
弐階 168.90坪
延 640.30坪
1.平面計画
中央大ホールを隅々の無駄な余地を残さざる様利用する上に於て楕円形となしたるものにして、これに附属する各種の室は何れも円形に突出せしめたるものである。これは各室利用上の便宜を考慮したる上に、外観美の全きを期せんが為めの工夫である。
尚各階に設けたる主要室数左の如し。(抜粋)
地階 事務室 1 重役室 1 ダンサー休憩室及同ロッカー・ルーム 1
楽士休憩室 1 化粧室 2 物置、階段室 2
1 階 メイン・ダンスホール 1 休憩室 5 ヴァルコニー 2
クローク・ルーム 2 切符売場 1 下足預所 1
2 階 ファミリー・ダンス・ルーム 1 見物席大小共 14
屋上 プロムナード 3

(大ホール)
宝塚会館は、長時間の舞踏への疲労を緩和するため床下にスプリングを装置した初のダンスホールとして有名であった。下記の通り大ホールが紹介されています。
「大ホールは 一時に三百組を収容するに足り 殊に床下一面に装置しましたスプリングは長時間の舞踏にも些の疲労を覚ゆることなく 斯界に誇るスプリングフロアーとして愛踏家の絶賛を賜ふでございませう。」

武庫川の川岸に面して、ポーチを設けました。
「大円柱の豪壮 形態の断片 その昔 クレオパトラのプレオトミンの宮殿を再現したかの感ある雄大広壮なポーチでございます。前面ローンは広く川岸まで及び 散策に格好のローンでございます。」

20組位のファミリー、グループ向きのダンスルームが2室設置されていました。
「お親しいお友達方のグループ 奥様令嬢方をパートナーとしての舞踏に 2階両側に設けられましたファミリールーム 約20組位の方々のダンスに好適の広さを持って居りまして御家族的な気持の良いホールでございます。」
「お親しいお友達方のグループ 奥様令嬢方をパートナーとしての舞踏に 2階両側に設けられましたファミリールーム 約20組位の方々のダンスに好適の広さを持って居りまして御家族的な気持の良いホールでございます。」
コメント
コメント一覧 (1)
戦後はGHQに接収され、その後は倉庫みたいになっちゃったそうです。
今は影も形もなく、道路の形状だけが当時を知る跡です。