宝塚映画制作所は、創立10周年を記念し、巨匠・小津安二郎を招聘し、「小早川家の秋」を制作しました。「小早川家の秋」は1961年(昭和36年)に公開されました。「東京物語」「晩春」「麦秋」を代表作とする世界的にも著名な監督小津安二郎は制作中の3ヶ月間余り宝塚に滞在し、宝塚歌劇を観劇したり、売布の松楓閣で開催された同窓会に出席したり、ふんだんに宝塚ライフを楽しみました。


小津安二郎写真小津安二郎
小津安二郎は、明治36年12月12日東京深川に生まれ、昭和38年12月12日に逝去しました。享年60と早逝であった。大正12年松竹蒲田入社。撮影助手から助監督を経て昭和2年「懺悔の刃」で監督昇進。ローポジション撮影とクローズアップを用いない「小津調」と称される独特の映像世界で優れた作品を次々に生み出し、世界的にも高い評価を得た。「小津組」と呼ばれる固定されたスタッフやキャストで映画を作り続けたが、代表作の「東京物語」をはじめ、女優の原節子と組んだ作品群が特に高く評価されています。



 宝塚映画制作所創立10周年記念作品                                          小早川家の秋スチール 「小早川家の秋」(昭和36年公開)
  監督   小津安二郎
  脚本   野田高梧・小津安二郎
  出演者  原節子・新珠三千代・司葉子・
        森繁久弥・中村鴈治郎
  
京都伏見の代々の造り酒屋、小早川家を舞台にし、長男の未亡人 (原節子) の再婚話、 次女(司葉子)への縁談話など小津得意のホームドラマ。


全日記小津安二郎表紙
映画制作中は、小津安二郎は宝塚南口駅に近く武庫川に面した旅館「門樋」(湯本町2、6室10名収容)に宿泊し、原節子は現在のセブンイレブン湯本町店の向かいにあった旅館「こいけ」(梅野町2、5室10名収容)に宿泊していたことが「全日記小津安二郎」に記載されています。どちらの旅館も小さな規模なので貸切であったと予想されます。
両旅館とも現存しません。





「全日記 小津安二郎」に宿泊した旅館、小津安二郎と宝塚歌劇団との交友などが、日記に記載されています。 宝塚に因む人、旅館等の記載は赤字にしました。

昭和36年6月30日(金) 晴
「(冒頭省略)
 夕景散歩 小池旅館に原節子をみんなでたずねる
 若またも佐田の山に敗ける  三敗」
7月1日(土) 半晴
「(冒頭省略)
 夏立ちて門樋に泊り武庫川を距て宝塚大劇場を眺めての一首
              夏草ハ伸ぶるにまかせ磧辺に天津乙女も老ひにけらしな」
7月8日(土) 
「(冒頭省略)
 門樋にて小憩ののち車にて松楓閣にて
 クラス会 橋本 谷本 門樋泊」
8月6日(日)
「休なり 厚田 山内 清水 成子 藤木と宝塚歌
 劇見物
に出かける 阪急社長に会ふ
 夜 通済夫妻くる 原節子くる 会食」
8月15日(火)
「(冒頭省略)
 門樋の床で花火を見る 藤本 川喜多 雁(鴈)治郎
 新珠 三鷹 スタフなど のち川喜多と宝楽にゆく」
8月23日(水)
「(冒頭省略)
 夕刻 歌劇の川島女史と寿美花代くる 座談会
 酒大いにすゝむ
9月2日(土)
「(冒頭省略)
 夜 原節子の招宴にて七福にゆく 酒 中井と日
 舞などやる」
9月3日(日)
「(冒頭省略)
 アベラからスパゲッティとビサパイをとって食ふ」
9月18日(月)
「休日 昼寝ののち寿美花代くる
 夕刻 天津乙女 明石照子 川島女史 寺本 八 
 雲楊子 万里弥生 原節子くる 会食 盛会 酩
 酊」
 
  (アモーレ・アベーラ)
 (現在の「アモーレ・アベーラ」)
アベーラ(現写真)小津安二郎が9月3日に、スパゲッティとビサパイの出前を依頼したレストラン「アベーラ」は、現在は宝塚市南口1丁目にありますが、当時は現在のソリオ宝塚(宝塚阪急)の場所(当時の住所:宝塚市五反田7の1)にありました。現オーナーの木戸一統(エルコレ・アベーラ)さんの父親であるオラッツィオ・アベーラさんが当時オーナーでしたが、「アベーラ」が日本で初めてミートソース・スパゲティをお客様に提供したお店であると言われています。当時のメニューには「ミートソース」でなく「イタリアンソース」と書かれていたそうです。                                  

    (当時の「アベーラ」)        (当時の「アベーラ」の場所)         
アベーラ写真(いてん前)アベーラ地図(昭和39年発行)









(昭和24年頃のアベーラの情景)

昭和24年5月㈱北野書房発行、羽野運平著の『おとめざ別冊 ルポルタージュ宝塚』には駅前にあった頃のアベーラが紹介されています。戦後すぐの時代ですが、紹介させていただきます。ここにはアベーラ一家が宝塚歌劇のファンであること、また、越路吹雪さんもアベーラに来られていたことが紹介されています。 


 一杯のコーヒーを飲むのにも、そこはかとなき雰囲気と、いさゝかの異国的な舞台装置を好む人は、宝塚終点に近い「アベーラ」へでかけます。
 黄色い縁とりをした小窓には、チュウルの窓掛けもかゝり、一輪ざしには花もあって、コーヒ茶碗にはチョコレート色でキャフェ・ド・オペラと描いてあります。
 伊太利人のマスター・アベーラさんは大の宝塚ファンで、初日と千秋楽には日本人の奥さんと、ピノチォさんという小さい坊やと三人で、タカラヅカオペラを見にゆく和やかな姿がよく見かけられます。                               公演を終ったあとなど、人の少ない時間を見はからって此処に来るのは深緑夏子さん、越路吹雪さんたちで、フラッペイという、ビールのように泡ぶくの浮いた冷いコーヒを飲みながら、オペラやジャズを語っているのもまた、愉しげです。
 オペラの話になると、日本語の上手なマスターも、ときどき内気に話の仲間に入って旅情をなぐさめているようです。」

  (松楓閣)
松楓閣パンフレット小津安二郎が7月8日にクラス会出席のため出掛けた松楓閣は、1988年(昭和63年)に閉館しましたが、売布にあった2万坪の広大な敷地の高級料亭旅館でした。元々はは総理大臣を2度務めた松方正義侯爵のお屋敷でした。

現在は跡地にマンションが建っています。




(参考文献)
  「全日記小津安二郎」田中眞澄編(平成5年12月 フィルムアート社発行)
  「宝塚映画製作所」宝塚映画祭実行委員会編(平成13年11月神戸新聞総合出版センター発行)