Singapore Free Press and Mercantile Advertiserは、1835年にシンガポールで2番目に発行された歴史ある英字新聞(1962年廃刊)ですが、その1911年(明治44年)5月16日号に、クリフォード・ウィルキンソンの長女のエセル・ウィルキンソン(結婚時21歳)とハーバート・プライス(結婚時26歳)の結婚記事が出ています。シンガポールでは、子女の結婚記事が出るくらいウィルキンソン・タンサン及びクリフォード・ウィルキンソンが著名であったと推測されます。夫のハーバート・プライスは32歳で早逝しましたが、ハーバートとエセルの間に出来た子息のHerbert.C.W.Priceがその後ウィルキンソン・タンサンの経営に長く携わりました。

 The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser (16 May 1911)のエセルの結婚記事の和訳は下記の通りです。結婚式は、トーアロードにあったオール・セインツ教会(All Saints' Church)で執り行われました。
「宝塚、神戸のクリフォード・ウィルキンソン(J. Clifford-Wilkinson)の長女であるエセル・ウィルキンソン(Ethel Wilkinson)とクリフォード・ウィルキンソンタンサン ミネラルウォーター会社の秘書であるハーバート・プライス(Herbert Price)の二人の素敵な結婚式が神戸のオール・セインツ教会(聖ミカエル教会)において挙行された。この式は英国聖公会ケトルウェル教区長によって執り行われた。公的手続は午前中にレイアード総領事の立ち会いのもと、英国領事館で行われた。」


オールセイントチャーチ(中山岩太)1939年(昭和14年)のトーアロード。右の尖塔の建物がエセル・ウィルキンソンとハーバート・プライスが1911年に結婚式を挙行したオール・セインツ教会です。

トーアロードに面したこの素敵な教会は、1945年6月5日の神戸大空襲で被爆、焼失しました。教会跡は、現在、聖ミカエル国際学校になっています。
左の写真は、芦屋・神戸を本拠に活躍した日本を代表した写真家の中山岩太(1895~1949)の作品です。



1918トーアロード(オールセイントチャーチ)
1918年(大正7年)のトーアロード。オール・セインツ教会が見えます。




 オールセイント(小松益喜)
左は小松益喜画伯によるオールセインツ教会のスケッチです。
小松益喜画伯によるとこの教会は「三角のトンガリ帽に四枚の鎧戸を持ち、その下の壁は、凡て素焼の橙色瓦で覆われていた。最前部は地味な色の赤煉瓦だった。庭には西洋の極楽花である夾竹桃が一面に咲き乱れていた。この教会の裏側一帯は華僑の住家だったし、教会の下には同文書院があった。」、さらには、「戦後雨後の筍のように出来たアメリカ風教会など足許にも寄れないような華麗荘厳」だったと記しています。
「神戸 我が幼き日の----」田宮虎彦・小松益喜著(昭和33年 中外書房発行)





「 Wilkinson- Price
 A very pretty wedding ceremony was celebrated in All Saints' Church, Kobe, the contracting parties being Miss Ethel Wilkinson, elder daughter of Mr J. Clifford-Wilkinson, of Takaradzka and Kobe, and Mr Herbert Price, Secretary of the Clifford-Wilkinson Tansan Mineral Water Co. The service was conducted by the Rev. F. Kettlewell, BA. The civil service took place at H. B. M.'s Consulate-General in the forenoon, before R. de B. Layard, Esq., Consul-General.」

 『The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser (16 May 1911)』