宝塚市制10周年を記念して発行された画報「宝塚」には、ウィルキンソン発祥の炭酸源泉の昭和戦後の姿や今は無きウィルキンソン生瀬工場の写真が掲載されています。今も宝来橋の南詰から下りて炭酸泉を飲んだ思い出をお持ちの方もいらっしゃいます。その他、当時の温泉街の夜景や、宝塚を代表した旅館・分銅家の写真が掲載されています。日本を代表する写真家の秋山庄太郎、藤川清によって撮影された迫力ある写真が掲載されています。
「旧温泉にある炭酸泉」
「宝来橋付近」 「生瀬大橋のたもとの炭酸水工場」
「ヘルスセンター屋上から旧温泉を望む」
「旧温泉にある炭酸泉」
「宝来橋付近」 「生瀬大橋のたもとの炭酸水工場」
「ヘルスセンター屋上から旧温泉を望む」
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コメント一覧 (3)
『ヘルスセンター屋上から……』
とのキャプションがある、ネクタイ姿の男性が写っている写真は、宝来橋を旧温泉街方向から撮影したものです。
左に写っている木造三階建ては、宝来橋の阪急宝塚駅側たもとにあった『清瀧旅館』です。道を挟んで『島屋旅館』がありました。
清瀧旅館は再開発まで、当地で営業されていました。川沿いのならびに、やはり木造モルタル三階建ての清瀧アパートがあり、大正末から昭和初期のモダンな雰囲気がありました。
清瀧旅館は、現在は川向かいの『宝塚温泉』の並びで、ビジネスホテル『清瀧』を営業されています。
ついでに。
清瀧旅館の後ろの低い屋根は、寿司仕出し、料理旅館の『琴月』(きんげつ)
現在も御殿山で営業を続けておられます。
その上に映り込んでいる大屋根は『相生楼』です。
地形的に琴月を過ぎて、阪急宝塚駅に向かう辺りから『グイッ』と登り坂になり、両側が高い石垣になっていました。
阪急に向かって右側にあったのが『菱富』です。
跡地は、再開発まで雑居ビル、土産物屋、音羽家食堂があったと記憶しています。
また道を挟んで『福助旅館』がありました。
今後もご教示の程お願いいたします。