英国人が宝塚で天然炭酸泉に出合う
明治22年、神戸在住の英国人クリフォード・ウィルキンソンが、狩りに出掛けた際、宝塚で清冽な水に出合いました。それは、温泉場の敷地内の泉源から湧き出ていた天然炭酸泉でした。クリフォードは、早速、英国の検査機関に成分検査を依頼したところ、食卓水として優秀な結果が出たので、温泉場と交渉し、炭酸泉源の権利を譲ってもらいました。
翌年、クリフォードは、温泉場から至近距離の宝塚紅葉谷に瓶詰工場(写真1)を設け、天然炭酸水の販売を開始しました。無糖炭酸水に馴染みのない日本人の需要は期待できないため、海外への輸出と、国内の外国人利用施設のホテル、レストラン、大使館等への販売に注力しました。
創業当初、「TAKARADZUKA MINERAL WATER」という名称で販売していましたが、「TAKARADZUKA」はヨーロッパの人々に発音し辛いとの意見があり、旧知の駐神戸英国領事のアドバイスにより、「TANSAN(タンサン)」を明治26年商標に採用しました。明治30年代半ばに入り、輸出が拡大するなか、源泉が枯れてきたので、近辺の鉱泉を探索し、見出した生瀬に明治37年工場を移転しました。
(写真1)
宝塚紅葉谷瓶詰工場
ウィルキンソン・ファミリー
創業者クリフォードは、1852年(嘉永5年)英国のヨークシャー地方リーズに生まれ、明治11年頃神戸に来航してきました。その後、神戸外国人居留地29番に本拠があったハンター商会に雇用され、主に兵庫出在家町にあった機械精米所に従事しました。明治17年頃、京都市生まれの「中川くま」と結婚し、二人の女児をもうけました。長女エセル(出生名:中川しつ)は、父親クリフォードの死去後、ウィルキンソン社の二代目社長を務め、エセルの長男が三代目社長を務めました。エセル一家は、昭和6年に平塚嘉右衛門が開発した中州住宅地を取得し、住居としました。戦後、著名な建築家アントニン・レーモンドに設計を依頼、改築した豪邸跡は、現在コープ宝塚の駐車場になっています。
(写真2)
クリフォード夫人(中川くま)と長女エセル(左)、次女フィリス(中央)
クリフォードの妻・中川くまの墓碑
ウィルキンソン一家の墓碑は、神戸市立外国人墓地とフランス・コートダジュールのトラビュケ墓地にあります。しかし、昭和23年に亡くなったクリフォード夫人「中川くま」の墓碑が不明です。神戸外国人墓地に存在しないことが確認できており、また、イギリス在住の曾孫レズリー・デイさんも、ご存じありません。長く居住していた宝塚か、出身の京都が考えられますが、もし、情報があればご教示ください。発見できれば、日本人のルーツを大事にされているレズリーさんが、さぞお喜びになると思います。
私が執筆しました論文「『ウィルキンソン タンサン』と宝塚」が収録された宝塚市教育委員会発行「市史研究紀要たからづか」第30号が販売開始されました。
〇頒布場所:市立中央図書館・西図書館、市役所社会教育課、
宝塚駅前サービスステーション
〇その他収録論文:「宝塚大劇場の誕生とその建築」、「武庫川筋土砂留普請絵図」他
〇頒布価格: 1冊900円
コメント
コメント一覧 (2)
この絵図が欲しいですね。
ウィルキンソンをまとめたいのですけど……覚えられない……。
私のブログに書いてある、宝塚の件については
資料を殆ど見ずに書きますので、ウィルキンソンの件が書けないんです。
宝塚歌劇の歴史も、覚えられません……。
私が「ウィルキンソン タンサン」について投稿した「市史研究紀要たからづか 第30号」に、喜多祐子さんによる「武庫川筋土砂留普請絵図」についての論文が掲載されています。