今回は、尼崎駅から福知山駅に至るJR西日本の鉄道路線・福知山線の歴史を辿ってみます。なお、東海道本線の大阪駅~尼崎駅間を含む大阪駅~篠山口駅間の系統は「JR宝塚線」という愛称が付けられています。
川辺馬車鉄道から福知山線までの変遷
福知山線は、明治20年に伊丹の酒造家小西新右衛門が中心となって設立した川辺馬車鉄道が始まりです。川辺馬車鉄道は明治24年7月に尼崎~長洲間を開業し、9月には伊丹まで延伸しました。川辺馬車鉄道は、馬27頭、客車7両、貨車8両を所有し、馬の牽引で線路上の車両を走行させたそうですが、開業翌年には摂津鉄道と改称し、その後、輸送力増強のため軽便鉄道に変更されました。
攝津鉄道は明治30年、阪鶴鉄道に全線譲渡され、線路幅は762㎜から1,067㎜に改軌されました。明治32年に尼崎~福知山南口間を全通した阪鶴鉄道は、明治40年に国有化され、阪鶴線に、その後福知山線に改称されました。
明治末期~大正初期の宝塚駅周辺
明治35年「阪鶴鉄道名所案内」の宝塚名所
箕面有馬電気軌道(現阪急)開通前の明治35年に発行された「阪鶴鉄道名所案内」には中山駅(現中山寺駅)、宝塚駅の近在の名所が案内されています。
中山駅の項には、中山寺をメインに、かつて中山寺境内から奥の谷合にあった中山温泉と山本牡丹園が案内されています。山本牡丹園は、「昔時豊太閤の知遇を受け接木太夫の称号を賜はり坂上善太夫は実に当村の出にして其子孫当村に在住し今や阪上を姓とする者村内三分一を占め爾来村民種樹園芸を業とし(略)牡丹の種類も亦た夥しく巳に数百種に至り花時の艶麗殆んど言語に絶す」と記載されています。
宝塚駅の項には、宝塚温泉、清荒神清澄寺、塩尾寺が案内されています。宝塚温泉は、「近年此鉱泉の効用内外人共に知る処となり来浴する者頗る多し武庫川の南崖に沿ふて清潔なる旅館割烹店を建設し浴客の求めに応ずる者十数軒の多きに達し」と、外国人も含め来浴者が頗る増加していると記載されています。
惣川駅と貨物ヤード
福知山線の宝塚駅と生瀬駅の間には、かつて惣川(そうかわ)という駅がありました。大正2年9月に開業しましたが、乗降客が少なく、大正15年に旅客営業が廃止されています。駅は、桜ガ丘の旧松本邸、ブドウ池から福知山線へ直角に下りた辺りにありました。
ただ、惣川駅開業9年前の明治37年に、仮設で阪鶴鉄道宝塚駅から約880mの場所(生瀬橋東詰付近に当たる)に側線が敷かれ、貨物集積場が設置されたことが記録に残っています。明治37年は、タンサン増産のためにウィルキンソン生瀬工場が新設された年に当たるため、惣川貨物ヤードは、ウィルキンソン社の要望により設置されたと考えられます。生瀬工場から荷牛車に積んだ製品を生瀬橋経由で貨物集積場に運び、専用の貨車で輸送したのでしょう。なお、ウィルキンソン社の社内資料によると、貨物集積場の用地はウィルキンソン社が購入し、後に鉄道会社に寄付したと記載されています。
コメント
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