最終回は、現在改修工事が行われている宝塚大橋と先代となる宝塚新橋について案内させていただきます。 

宝塚新橋(初代宝塚大橋)
 現在改修工事中の宝塚大橋は2代目で、初代の宝塚大橋は昭和8年2月に渡り初めが行われています。架設時、宝塚橋と命名されましたが、宝塚新橋と称され、地図等でも宝塚新橋と案内、記載されました。その後、昭和35年4月に、市庁舎の傍らに新設された橋梁が宝塚新大橋と命名されたためか、類似した宝塚新橋から宝塚大橋に呼称が変化していきました。
戦前の宝塚新橋(ブログ用)

戦前の宝塚新橋(下部に宝塚橋と記載)







宝塚新橋が完成するまでは、自動車で武庫川を渡るには、上流の生瀬橋か下流の甲武橋まで行く必要がありました。宝塚新橋の開通により、現在の宝塚市域で武庫川を車で渡ることが可能になりました。右の写真は、戦前の宝塚新橋の絵葉書で、武庫川左岸から宝塚南口方面を撮影したもので、小さく甲山が写っています。宝塚新橋は、橋脚も含め、景観に相応しい優美なフォルムの造形物であったようです。

昭和29年の市勢要覧には、宝塚新橋の写真とともに、「橋は繁栄と文化をもたらし 橋は融和と協力をかけ渡す 橋は二十年来ののぞみ こちらとあちらを一つに結んだ そして橋は市のいきおいの 市のちからの象徴でもある」と記されており、宝塚市にとって重要、かつ象徴的な橋梁であったようです。

 

現在の宝塚大橋

現在の宝塚大橋は昭和53101日に架け替え工事が完成し、開放されました。歩道の幅員を広くとり、車道との境界に緑と花のプランターボックスが設置され、人と車の完全分離が行われました。橋上の小広場には噴水、彫刻、シェルターなどの造形物が設置され、全国初のガーデンブリッジと称されました。改修前の宝塚大橋からの景観(ブログ用)


改修前の宝塚大橋からの景観









昭和53101日号の「広報たからづか」には、「宝塚にまた一つの名所が誕生。武庫川にかかる宝塚大橋が、より豊かに人たちに憩いと、喜びをもたらす橋に装いをかえ、町に新しい秩序と人間らしさを生み出す橋として生まれかわりました。」と、橋の理念、役割が記されています。

宝塚大橋は、兵庫県による耐震補強工事が令和4年8月末に完了しましたが、歩道部分の整備工事が残っています。この場所は宝塚市において最重要の景観ポイントであるため、利便性、メンテナンス費用の軽減も重要ですが、魅力ある歩道空間を構築していただきたいと思います。

最終回にあたり

近代宝塚歴史紀行の連載は、今回が最終回になります。発行の都度、貴重なご意見やご質問をいただきました。特に、元旅館泉山楼の福井佳子様からは貴重な家蔵の写真、資料を閲覧させていただいたことで、草創期の宝塚温泉の新事実を記すことが出来ました。

歴史は忘れ去られていきます。歴史的事実を後世に伝えるためには、市役所による市史編纂等を含め、継続的、または定期的に史料、映像を残していく必要があります。「ウィズたからづか」もその役割の一端を担っていますので、末永く発行されていくことを望みます。