武庫川の清流に沿い、六甲、中山の秀嶺に囲まれた山紫水明の地「宝塚」は温泉にも恵まれ、明治以降外国人を含め、多くの人々が訪れました。 写真、絵葉書等をご紹介しながら、明治・大正時代等近代の宝塚を訪ねます。

宝塚手彩色写真ブログ用
(宝来橋が架かる前の明治23年~30年頃の手彩色写真)

明治20年5月に開業した初代温泉場は、大雨による武庫川の氾濫により、明治30年9月29日に流失(平成14年12月発行「宝塚温泉物語」より)しましたが、この写真には、初代温泉場が左中央に建っており、また、明治23~24年に開業したと思われるタンサンホテルが写っているため、明治23年から30年の間に撮影されたと思われます。
  初代温泉場の流失時期については、「宝塚市史」「寳塚温泉案内」「寳塚沿線名勝誌」「攝北温泉誌」は明治31年11月と記述されていますが、2代目温泉場再築時の記念碑には「明治三十年水害惨状」と記されており、また、明治30年10月2日号の新聞で、水害により「宝塚温泉の浴室は流出せり」と報じられているため、明治30年が正しいようです。

 上の手彩色写真の裏面には、明治時代に神戸元町5丁目にあった写真館の眞影堂(SHIN-E-DO)のスタンプが押印されています。この写真館は、外国人向け土産写真の販売店で、この写真はこの店で購入した外国人が母国に持ち帰った写真であると思われます。

 (写真の裏面の眞影堂の印) (明治30年「日本貿易商案内」の広告) (左の看板の店が眞影堂)               
宝塚全景裏面(真影堂)真影堂(日本貿易商案内)SHINEI-DO(真影堂) 元町5丁目 宝塚全景販売元

 1893年(明治26年)に発行された、外国人向けの日本旅行ガイドブック「A HANDBOOK FOR TRAVELLERS IN JAPAN」(マレーズ・ハンドブック 日本版 第3版)には、宝塚が案内されています。
宝塚を訪問された外国の方が、神戸で購入されたと思われます。