ウィルキンソン・タンサンの創業者クリフォード・ウィルキンソンは販売促進の一環で、工場の素晴らしい環境や品質管理をアピールするため、国内外の商社、要人を積極的に宝塚に招聘しました。その際の宿泊、接待場所として、タンサン・ホテルを建て、活用しました。タンサン・ホテルの開業は明治23年頃と思われます。
(マレーズハンドブック第3版のタンサン・ホテルの広告)
1893年(明治26年)に発行されたマレーズハンドブック(「A HANDBOOK FOR TRAVELLERS IN JAPAN」(Third Edition))に、タンサンホテルの広告が掲載されています。
タンサンホテルは、海外、外国人向けには、TAKARADZUKA HOTEL(宝塚ホテル)を使い、日本向けには、炭酸ホテルをホテル名として使用しました。
マレーズハンドブック第3版に、宝塚が初めて案内、紹介されています。広告が掲載されたタンサンホテルが宝塚に所在する関係で、宝塚が案内されたと思われます。
宝塚への外国人観光客の拡大に、John Clifford Wilkinson(クリフォード・ウィルキンソン)は、大きな貢献を果たしたことになります。
(タンサン・ホテルの広告訳)
「この最高級ホテルは、丘の中腹の健康的な場所にあり、また、素晴らしい魅力的な風景に囲まれています。さわやかな自然のため、医療機関によって、療養地として推薦されています。ホテルと隣接して、健康に良い有名な温泉があります。最高の品質のワイン、ビール、スピリッツとともに一流の料理が手頃な料金で食事できます。
宝塚は、神戸から鉄道と人力車で1時間30分で行けます。パスポートは必要ありません。
料金等詳細は、A.HUGHESマネージャーに尋ねてください。」
タンサンホテルは、明治24年出稿・明治26年発行の第3版マレーズ・ハンドブック(「A HANDBOOK FOR TRAVELLERS IN JAPAN」(Third Edition)に広告が掲載されたことから、「ウィルキンソン タンサン」の創業とほぼ同時期の明治23年頃に業したと考えられます。
(タンサン・ホテル:宝塚ホテル全景)
(タンサン・ホテルとホテル従業員)
(タンサン・ホテルの日本人向け宿泊料金)
下記の明治43年2月東京人事興信所編の「吾輩は何処に泊まらう乎」には、寳塚温泉場の旅館の紹介欄に壽樓、分銅屋、喜山、立美屋とともに炭酸(タンサン)ホテルが掲載されています。旅館の宿料が80銭から1円80銭に対し、炭酸ホテルの料金は破格の4円以上となっています。タンサンホテルは、当時の日本人にとって、まず経験のない洋式の宿泊施設であり、また、この高額料金から、日本人利用者はほとんどいなかったと予想されます。