カテゴリ: 宝塚駅-箕有電車

   箕面有馬電気軌道(現阪急宝塚線)は明治43年3月10日に梅田~宝塚、石橋~箕面を結び営業を開始、宝塚駅が開業しました。箕有電車が開業した頃は、日露戦争の記念絵葉書が多数発行、人気を博した関係で、絵葉書の熱狂的なブームが起こった時期で、箕有電車もブームにあやかって、旅客誘致のため、絵葉書を多数発行、配布いたしました。
 宝塚関係の絵葉書をご紹介します。

箕有電軌(沿線図・阪鶴と)
梅田から宝塚、箕面までの路線図が案内されています。
競合路線の阪鶴鉄道(現JR西日本福知山線)も記載されています。






箕有電軌(宝塚新温泉開業)
宝塚新温泉が明治44年5月1日に開業することを
告知・案内しています。
南地五花街(宗右衛門町、九郎衛門町、櫓町、坂町、
難波新地)の「芦辺踊」が案内されているのはどうして
なのでしょうか。


箕有電軌(2月冬暖かき宝塚温泉)
「二月 冬暖き宝塚温泉」







3月婦人博覧会
「三月 婦人博覧会」







 箕有電軌(新温泉パラダイス)
 「宝塚新温泉」「パラダイス」  
                                                                                                                                                                                               





12月家族温泉
「十二月  家族温泉」










箕有電軌(12月宝塚新温泉場)
「十二月 
 気候温暖 山水明媚 宝塚温泉」






 
 (箕面有馬電気軌道沿線案内)    
                
箕有電軌(沿線案内)左は、箕有電車の開業後間もない明治45年2月に発行された沿線案内の宝塚部分です。
案内には、旧温泉、塩尾寺、宝梅園が案内されています。
もちろん、箕面有馬電鉄経営の新温泉は大きく紹介されています。
武庫川には、宝来橋、迎宝橋が架かっています。
また、「武庫川には、鮎多く産す。」「宝塚より有馬への人力車への便あり」と記載されています。







   宝塚への鉄道は、阪鶴鉄道(現JR西日本福知山線)が明治30年12月27日に宝塚まで延伸し、箕面有馬電気軌道(現阪急宝塚線)は明治43年3月10日に梅田~宝塚間を開業しました。その後、箕面有馬電気軌道は、阪神急行電鉄と改称しましたが、大正10年9月に西宮北口から宝塚への西宝線(現今津線)が開通し、宝塚線と接続しました。

箕有電軌時代の宝塚駅の絵葉書が多数あります。

宝塚駅(旧温泉眺望)駅は西洋建築風な華麗な建物で、当時、武庫川左岸は開発
されていなかったため、目立ち、脚光を浴びたことでしょう。
駅の向こうに旧温泉側旅館の分銅家、タンサンホテルが見え
ます。駅には大丸呉服店の広告看板が立っています。




摂津宝塚温泉場遠景及電車停留場 箕面有馬電気軌道の開業間もない頃だと思います。
手前には、福知山線の線路が写っています。左遠方
には、武庫川右岸の温泉街の旅館分銅家が望まれます。
箕有電鉄の線路上には、1型車両が写っています。



宝塚駅周辺全景左中程に、箕有電軌の宝塚駅が見えます。
その上には、福知山線の汽車が走っています。
 



            
宝塚駅(手彩色)清荒神側から見た宝塚駅です。右側のホームが下車
ホームで出口には人力車が並んでいます。
          
  



宝塚駅付近(福知山線との交差部分) 清荒神駅から宝塚駅への急カーブ部分です






(明治時代の阪鶴鉄道宝塚駅)
阪鶴鉄道(現JR西日本)「寳塚停車場」の写真(明治40年5月消印の絵葉書)を
1枚掲載します。
阪鶴鉄道宝塚停車場(明治40年5月)



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